1949-07-27 第5回国会 参議院 法務委員会 閉会後第8号
○説明員(大室亮一君) この点につきましては前回もお話があつたのですが、法務府の意見を纏めて來るように、こういうお話でありましたので、只今檢務局長からお話になつたような法務府の意見がございましたのであります。
○説明員(大室亮一君) この点につきましては前回もお話があつたのですが、法務府の意見を纏めて來るように、こういうお話でありましたので、只今檢務局長からお話になつたような法務府の意見がございましたのであります。
○説明員(大室亮一君) その詳細の点は、私ちよつと今ここでどういう方法によつてやつたか、その点はちよつと今はつきりいたさないのであります。
○説明員(大室亮一君) 承諾を得たということは先程も申上げたのでありますが、そのやり方、或いは迅問の仕方なんかにおいて多少遺憾の点があつたということは調査に行つた者も報告をいたしておるのであります。
○説明員(大室亮一君) この事件につきましては、人権擁護局といたしましては、廣島の高等檢察廳に早速報告して貰うことにいたしまして、その報告を得たのであります。併し人権擁護局といたしましても、これを調査するのが然るべきことと考えましたので、早速事務官を派遣いたしまして、詳細に調査いたしたのであります。でその結果に基きまして、昨日申上げましたような結論に到達いたしましたので、現在のところでは再調査いたしますという
○説明員(大室亮一君) 事務官を派遣いたしまして調査いたしたのでありますが、いろいろその報告によりますというと、部内のことでありますし、余り表沙汰にするのもどうかというような考慮からやつたというふうにも見えます。又それについて同意があつたようにも見えまするので、人権擁護局といたしましては、現在のところではこれを取上げるというふうには考えていないのであります。
○政府委員(大室亮一君) 只今お話になりました四十件と申しますのは、これは昨年度の数字なのであります。昨年の二月十五日に法務廳の発足と同時に人権擁護局も発足いたしたのでありますが、当時私も在野から入つたのですが、局長一人というような何でありまして、昨年はそういう関係から人権擁護局の存在ということも余り知られなかつたと思うのでありまして、僅か四十件程であつたのであります。その後発足以來いろいろとできるだけの
○政府委員(大室亮一君) 只今鬼丸委員のお話は私共もその点については非常にいろいろ考えておるのであります。法務廳の中に人権擁護局があるということについてもいろいろ考えて見ておるのでありまするが、先程も説明員からお話しましたように、アメリカにおきましてはやはり司法省のクリミナル・デビジヨン、刑事部の中にあるのであります。尚人権擁護局の権限の問題でありまするが、権限についても現在弱いのでありまして、この
○政府委員(大室亮一君) 只今鬼丸委員のお説御尤もであります。人権擁護局といたしましても、その点には非常な関心を拂つておるのであります。その草案につきまして檢務局で研究いたしておるのでありますが、それにつきまして、いろいろ私の方からもそれに意見なりを述べておりますから、その点ちよつと申上げて置きます。
○大室政府委員 この事件につきましは、私は知らないのでありますが、なるべく選挙権を持つている者の全部が投票することを希望いたしますから、これは法令と時間の許します範囲内において、努力をいたしてみたいと考えております。
○大室政府委員 実際においては告発もいたしておるのでありまして、この程度で十分と思いましたので、この程度にいたしたのであります。
○大室政府委員 從來は人権擁護委員は全國に百五十人ございました。東京が十一人大阪と北海道が五人、その他の府縣は三人でありました。
○大室政府委員 それは人権擁護委員がいろいろ調査いたしまして人身保護法によるような場合は、人身保護法によるということになるわけであります。
○人権擁護局長(大室亮一君) 帝銀事件につきまして、捜査当局が非常な努力を拂つておいでになるということにつきましては、非常な敬意を拂うのでありますが、人権擁護の職にある者といたしまして、聊かこの人権についての考えを申述べて見たいと思うのであります。これは先ず第一にこの容疑者の逮捕状についての問題、次に函館から連行したその途中における問題、それから容疑者が自殺を企てた問題、それから帝銀事件の容疑者として